神奈川県大和市の南部にある「高座渋谷駅」から徒歩約6分の妻恋坂。
テレビ東京『出没!アド街ック天国』の高座渋谷の放送回でも紹介された、地元でも愛されるスポットです。
高座渋谷駅の周辺は再開発により街並みが整備され、とてもキレイです。
大型商業施設の「IKOZA(イコーザ)」や「イオン」などがあり生活の利便性も向上しています。
余談ですが、東京の渋谷は高座渋谷がルーツと言われています。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、この地域を治めていた「渋谷氏」が後に東京都渋谷区一体を領地とした際にその地にも「渋谷」という地名が広まったとされています。
そんな場所にある妻恋坂をご紹介いたします。
地元の人々に愛される坂
妻恋坂の名前は、昭和の時代に福田に住んでいた小泉英三郎さんが仕事からの帰宅時にこの坂を通る際、その日の気持ちを短冊にしたため、坂道の両側の木々に短冊を吊るしていたことに由来します。
かつて暗かった坂道を歩くのが楽しくなるように、と考えた小泉さんの温かい人柄に心を打たれ、多くの人々の心を癒したその短歌のうちの一首が「妻恋坂」と名づけられていたことから、坂全体がこの名前で呼ばれるようになったと伝えられています。
撮影日は雲がかかってしまい見えませんでしたが、天気の良い日は富士山がキレイに見えます。
また、近くには東海道新幹線も通っていて、子ども連れにもとてもオススメです。
私のこどもたちも新幹線を見ることができてとても喜んでいました!

こちらは離れて撮影した妻恋坂です。
写真からもキレイに整備された閑静な住宅街が伝わってきます。妻恋坂はワンちゃんと散歩したり、ベンチで休憩したりと、地元の人々の憩いの場になっています。
坂の途中には短歌が掲示

坂の途中にはこのようにベンチと短歌が書かれた場所があります。

小泉英三郎の短歌です。文字に起こすと以下のとおりです。
妻恋坂
お仕事に
疲れて帰る
道すがら
愛しき妻に
いそぐこの坂
この短歌からも小泉英三郎さんの温かい人柄が伝わってきます。小泉さんは短冊に歌を吊るすだけではなく、坂道に落ちているゴミを拾い、草むしりをするなど、地域の環境美化にも尽力しました。
人知れず、地域を想う小泉さんの温かい人柄は多くの人々の共感を呼び、小泉さんが亡くなった後も、この心温まるエピソードを後世に残そうと下福田北部自治会が中心となって、この坂に案内板が設置されることになりました。
大和市もまた、この坂道を「愛称道路」の一つとして正式に認定し、その物語を公に認めました。地域の大切なシンボルとして守り継いでいこうという想いが感じられますね。
「妻恋坂」は単なる道路の名称ではなく、市民一人ひとりの心に宿る温かさや、地域コミュニティの絆が形になった、まさしく生きた証だと思います。
妻恋坂が今に伝えるメッセージ

妻恋坂は派手な観光名所でも、歴史的偉人が住んだ場所でもありません。
しかし、だからこそ、私たちに大切なことを教えてくれます。
一つは、日常の中にこそ、真の愛情や感動が潜んでいるということです。
日々の何気ない帰り道、何気ない坂道が、誰かを想う心によって、これほどまでに美しく意味のある場所に変わるということです。
もう一つは、人と人との繋がり、地域の温かさです。小泉さんの個人的な愛の物語が地域の人々の手によって大切に受け継がれ、未来へと語り継がれています。
この坂は単に、妻への愛を伝えるだけでなく、地域が一体となって一つの想いを共有し、育むことの大切さも教えてくれます。
現代社会において、人間関係が希薄になりがちと言われる中、大和市福田の「妻恋坂」は
私たちが忘れかけていた温かさや、人との繋がり、そして日常の中に隠された愛の物語を静かに語りかけてくれます。
この坂道を訪れる機会があれば、ぜひその歴史と物語に思いを馳せながら歩いてみてください。きっと、心に温かい光が灯るのを感じることができると思います。
妻恋坂
住所:神奈川県大和市福田1841から大和市福田1790
アクセス:小田急江ノ島線「高座渋谷駅」東口から徒歩約6分